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日蓮聖人の生涯

​鎌倉時代に生き、幾多の困難に見舞われながらも強い信念のもと、お釈迦様の教えを日本で広めた。人々の苦しみを取り除き、社会全体が幸せになるように願い、来世ではなく「今を生きる」ことの大切さを説き法華経への信仰にその生涯を捧げた。

承久4年(1222)

​安房国小湊の漁夫の子として生まれる

天福元年(1233)​ 12歳

​清澄寺で修業を始める

嘉視3年(1237) 16歳

​出家して是聖房蓮長と名を改める

暦仁元年(1238) 17歳

​鎌倉遊学へ 念仏・禅を修業

仁治3年(1242) 21歳

​清澄山へ帰還「戒体即身成仏義」を術作、さらに比叡山に遊学し修学

建長5年(1253) 32歳

清澄山の山頂に立ち朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と初めてお題目を唱え陸橋開示の宣言をされるとともに宣願を建てられた

​この頃名を「日蓮」と改められた

文応元年(1260) 39歳

7月 「立正安国論」を北条時頼に上申

​8月 松葉の谷の草庵が焼き討ちにされるが難を逃れる

弘長元年(1261) 40歳

5月 伊豆国へ流罪にされる

​弘長3年2月 赦免される

文永元年(1264) 43歳

​11月 小松原で地頭の東条景信の襲撃を受ける

文永8年(1271) 50歳

幕府や諸宗を批判したとして腰越竜の口刑場にて処刑されかけるが、江の島方面から光が発せられ討手の太刀が折れるなどの怪異現象が起こり斬首の刑は中止され、その後佐渡流罪となる

文永9年(1272) 51歳

​「開目抄」術作

文永10年(1273) 52歳

4月 「歓心本尊抄」術作

​11月 「大曼荼羅」を図顕

文永11年(1274) 53歳

佐渡流罪より赦免され鎌倉へ帰還

​4月 平頼綱から蒙古襲来の予見を聞かれ、法華経中心の政策への転換を幕府に対して行うが幕府は聞く耳を持たなかった

弘安5年(1282) 61歳

弟子・信者多数の唱題の中、入滅される

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