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History     Museum

体 感 型 ミ ュ ー ジ ア ム

佐渡という隔絶の地で、時代の荒波にもまれながら、後世に燦然と輝く偉業を成し遂げた人々がいました。彼らの魂の軌跡を辿り、不屈の精神と創造の源泉を学びませんか。そして、島の人々が悠久の時を超えて守り、育んできた、豊かな文化、深く根付いた信仰、そして息をのむ芸能の息吹を、あなたの五感で感じてください。

灰色の波状の背景

慶子女王

嘉禄元年(1225)~弘安9年(1286)

順徳上皇と右衛門佐局との間に誕生した第一皇女といわれる

死後、島照大明神として祠が建てられた

また生前御座所となった寺は、女王に因み慶宮寺と呼ばれ​神社の別当寺となった

順徳上皇 慶子女王
灰色の波状の背景
順徳上皇

順徳上皇

建久8年(1197)~仁治3年(1242)

後鳥羽上皇の第3皇子として生まれる

承久3年(1221)、承久の乱に敗れて佐渡へ配流となる

​その後21年、帰京を望みながらも失意のうちに46歳で崩御される

【配所の月】

流罪の地で見る月の美しさや寂しさを詠んだ 

灰色の波状の背景

​日蓮聖人

​承久4年(1222)~弘安5年(1282)

武力が世の中を支配した鎌倉時代、人々を救う道は法華経の教え以外にはないと時の幕府を諫める

そのため幾度ものご法難に遇われる

文永8年(1271)、50歳の時に佐渡流罪となる

​3年後鎌倉へ帰還するが61歳にて入滅される

日蓮聖人

【佐渡法難】

文永8年9月、竜の口の法難を経て佐渡流罪となり、11月塚原の荒れ果てた三昧堂に入る

​厳寒の気候に加えて衣類や食料も乏しい中、念仏者などから命を狙われるという厳しい状況に置かれた

【塚原問答】

文永9年1月、諸宗の僧ら数百人と法論を行い彼らを論破し多くの僧が日蓮聖人に帰依した

【波題目】

文永11年春、赦免になり真浦から船出した

​一説では、日蓮聖人が佐渡をかえりみて「この島にも4年いたが自分の願望は空しくなかった。妙法が広まるときが来ると、この島は自分にとってはじつに開運の地である」といい朝日に向かって合掌すると「南無妙法蓮華経」の7字が浮かび上がったとされる

灰色の波状の背景
世阿弥

世阿弥

貞治2年(1363)~嘉吉3年(1443)

室町時代、父の観阿弥とともに能楽を大成した

足利義教の冷遇を受け最終的に佐渡に流される​という苦難を経験するが能楽の発展に尽力し続けた

【雨乞いの舞】

日照り続きのある夏、干ばつに苦しむ人々を救うために世阿弥が「雨乞いの舞」を舞うと、大粒の雨が降ったという

佐渡の伝説

語り部のおじいちゃん・おばあちゃんが佐渡弁でご案内いたします

佐渡歴史伝説館

営業時間

入館受付

9:00~16:30

4月~11月の営業時間になります。
​12月~翌年3月の営業日時は、お問い合わせください。

入館について

入館チケットは「売店レジ」での販売となります。

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