順徳天皇(じゅんとくてんのう)
承久の乱に敗れて、佐渡へ配流となる。その後21年、佐渡で暮らし、帰京を望みながらも失意のうちに46歳で崩御。
順徳天皇・配所の月
承久の乱に敗れて、父君後鳥羽上皇は隠岐の島へ、土御門上皇は土佐へ、順徳上皇は佐渡へ配流となる。在島22年、1242年 46歳で崩御。
-
真野御陵
-
真野宮(天皇を祀った神社)
歴史伝説館に隣接しています。
御朱印ガールにもオススメ!
佐渡歴史伝説館は、800年昔の世界へとタイムスリップし、佐渡ヶ島の歴史を皆様に体感して頂くミュージアムです。
『佐渡の歴史』は全八景、順徳天皇・日蓮聖人・世阿弥が流罪となった方々の悲しい歴史、
そして佐渡の人々が受け継いできた伝統のルーツを、佐渡旅行の中で感じ取って頂けたらと思います。
佐渡に配流された順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥に会えます。
京の都につながる伝統・芸能・文化を再現。佐渡へ来た3人をロボットで紹介しています。
時代を超えて佐渡の昔へタイムスリップしてみましょう!
佐渡でお生まれになった順徳天皇の第一皇女。
鎌倉時代(1221年配流)
承久の乱に敗れて、佐渡へ配流となる。その後21年、佐渡で暮らし、帰京を望みながらも失意のうちに46歳で崩御。
鎌倉時代(1271年配流)
日蓮宗の宗祖。「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えることで救われるという教えを説きました。
室町時代(1434年配流)
父・観阿弥と共に能楽を大成し、能楽の祖となりました。世阿弥の能楽は観世流として現代に受け継がれています。
承久の乱に敗れて、父君後鳥羽上皇は隠岐の島へ、土御門上皇は土佐へ、順徳上皇は佐渡へ配流となる。在島22年、1242年 46歳で崩御。
歴史伝説館に隣接しています。
御朱印ガールにもオススメ!
一間四方の寒風吹きすさぶ塚原の草堂で寒さと飢えに耐え、つめかけた諸宗の僧徒と激しい法論を交わした。後世に「塚原問答」と伝えている。
佐渡・塚原の草庵で過ごし、諸宗の僧徒と激しい法論を交わしたと言われ、後世に「塚原問答」と伝えられています。
将軍足利義教に疎まれ流罪となる。日照り続きのある夏、島民を救おうと雨乞いの舞いを舞った。すると、大粒の雨が降り出し、島民は驚き雨の中に立ち世阿弥の舞を見ていた。
日照り続きのある夏、世阿弥が「雨乞いの舞」を舞うと、大粒の雨が降ったといいます。
※新潟県指定 有形文化財 神事面べしみ
(佐渡市泉 正法寺所蔵)
世阿弥は、佐渡に流された後、万福寺を経て正法寺に移されたと伝えられている。正法寺の言い伝えによると、世阿弥が干ばつの年にこの面を着けて舞ったところ大雨が降ってきたといい、以来この面を雨乞い用の面として用いるようになったと伝えられている。
(佐渡市ホームページ「佐渡の文化財」ページより)
酔っぱらいおじいちゃんといねむりおばあちゃんのユーモラスな語り口で、佐渡の伝説をご案内します。
森鴎外の「山椒太夫」安寿・厨子王の母恋い物語を展開。
木下順二の「夕鶴」の原話 鶴の恩返し、幻想的な世界を展開。
猫が可憐な乙女に変身。飼い主の窮状を助ける物語。佐渡おけさのおけさは猫の名前。