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​世阿弥の生涯

世阿弥観音

世阿弥観音(当館所蔵)
昭和を代表する彫刻家「北村西望」
〔代表作 長崎平和記念像〕
の生涯最後の作品と言われている。

貞治2年(1363)

大和猿楽座太夫・観阿弥の子として生まれる

永和元年(1375)

​京都今熊野で観阿弥・世阿弥親子が能を演じたおりに、将軍足利義満が見物に訪れており、当時13歳だった世阿弥をいたく気に入り義満の庇護を受けるようになる

至徳元年(1384)

​22歳の時に観阿弥が52歳でこの世を去る

応永5年(1398)

​世阿弥の弟、四郎の子・元重が誕生、後継者にしようと養子に迎えるが3年後に実子が生まれる(元雅)

​のちに元重は独立して音阿弥と名乗り自ら地盤を固めていく

応永15年(1408)

46歳の時に庇護を受けていた足利義満が亡くなる

​やがて足利義教が将軍の座に就くと義教が音阿弥を贔屓にしていたこともあり、世阿弥は義教に冷遇され活動の場を狭められてしまう

永享4年(1432)

後継者である元雅が伊勢の地で亡くなる

永享6年(1434)

72歳の時に足利義教によって佐渡に流される

その後のことは詳しくはわかっておらず没年齢もはっきりしていない

​一説では81歳でこの世を去ったといわれている

世阿弥の遺したもの

「風姿花伝」

父・観阿弥の教えに基づいて書き記した能楽の理論書

能を「その風をえて心より心に伝ふる花」に例えて名づけられたとされる

世阿弥は生涯を通じて「花」ということを追求している

世阿弥の考える​「花」は美しさ・魅力・面白さなど奥深い意味がある

「秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず」
(風姿花伝)

世阿弥は「花と、面白さと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」とも書いており、花、おもしろさ、めずらしさは同じことで花は散るからこそ咲いたときに珍しさを感じる

​秘め事も隠しているからこそ披露したときに感動を呼ぶことができる

「家、家にあらず 継ぐをもて家とす」
​(風姿花伝)

芸の家とは、ただ家が続いているから芸の家ということではない

その家の芸をきちんと継承しているから芸の家なのだ

家の継承者だから芸と継承者とはいえない

​その芸を理解している者が芸の家の人なのだ

「稽古は強かれ 情誠はなかれ」
​(風姿花伝)

情誠とは、凝り固まったかたくなな心である

稽古は厳しい心でしっかり行わなくてはならない

​慢心による凝り固まった心があってはならない

「時に持ちゆるをもて花と知るべし」
​(風姿花伝)

その時々に役立つものが花である

​「花」とは、美しさ・魅力・面白さなど複合的な概念を指しており観客の好みや状況を考慮してふさわしい芸をみせることが大切である

「初心忘るべからず」
​(花鏡)

​これには続きがあり「初心忘るべからず 是非の初心を忘るべからず 時々の初心を忘るべからず 老後の初心を忘るべからず」物事の初めだけでなくその時々、老後に至っても初心はあり、それを忘れてはならない

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