歴伝

佐渡歴史伝説館は、800年昔の世界へとタイムスリップし、佐渡ヶ島の歴史を皆様に体感して頂くミュージアムです。
『佐渡の歴史』は全八景、順徳天皇・日蓮聖人・世阿弥が流罪となった方々の悲しい歴史、そして佐渡の人々が受け継いできた伝統のルーツを、佐渡旅行の中で感じ取って頂けたらと思います。

順徳天皇第一皇女

慶子女王(1225~1286年)
佐渡でお生まれになった順徳天皇の第一皇女。
旧畑野町に女王を祀る一宮神社があります。

松あれば 佐渡ヶ島なる から崎も
 しかすがにこそ 見まくほしけれ
  (慶子女王 御歌)

順徳天皇第一皇女

第八十四代 順徳天皇 配所の月

順徳天皇は鎌倉幕府転覆に失敗し、時の執権北条義時により承久3年、24歳の若さで佐渡へ配流されました。

在島22年 都に帰る望みも絶え、
思ひきや 雲の上をば 余所に見て
 真野の入り江に 朽ち果んとは
(順徳天皇 辞世の御歌)

との痛ましい御製を残し、46歳の若さで崩御されました。

翌日火葬され、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚『真野御陵』であり、現在は御陵と同等の扱いで宮内庁書陵部で管理をされています。
なお御遺骨は、奉持されるまでこの塚に埋葬されておりましたが、翌年侍臣の藤原康光によって京都の大原へと移されました。
また、近くの『真野宮』は順徳上皇を祀った神社であります。

第八十四代 順徳天皇 配所の月

第八十四代 順徳天皇 絵巻物語

1221年承久の乱に敗れ、父後鳥羽上皇は隠岐の島へ兄君土御門上皇は土佐へ、そして順徳天皇は佐渡へ流罪となりました。

いざさらば 磯打つ波に こと問わん
沖の方には 何事かある
(後島羽上皇を偲んだ御歌)

第八十四代 順徳天皇 絵巻物語

日蓮聖人 佐渡法難

1271年(文永8年)北条時宗の勘気を受けて鎌倉竜ノ口で御難があり、処刑されようとした聖人がひたすら題目を唱えたところ、雷光の奇跡が起こり難を免れたといいます。
翌日死一等を減じられた聖人は、佐渡へ流罪となりました。

日蓮聖人 佐渡法難

日蓮聖人 波題目

1271年(文永8年)10月、佐渡配流の時、海上がにわかに荒れ始めましたが、日蓮聖人が水竿で題目をお書きになると、波風がおさまったと伝えられています。

日蓮聖人 波題目

日蓮聖人 塚原問答

一問四方の寒風吹きすさぶ塚原の草堂で、寒さと飢えに耐え、詰め掛けた諸宗の僧徒と激しい法論を交わしました。
後世、これを『塚原問答』と伝えています。

降り積もる 雪の塚原 つつがなく
たけき心に 冬過ごしけり
(香取 秀真)

日蓮聖人 塚原問答

世阿弥(観世元清) 雨乞いの舞

美の極限を極めようとした能楽者観世元清は、足利義教に疎まれ72歳の高齢で佐渡へ配流となりました。

日照り続きのある日、観世元清が島民を救おうと雨乞いの舞を舞うと、大粒の雨が降り出し、ひび割れた大地が見る見る内に潤い、島民を驚かせました。

島民は雨の中に立ち尽くし、世阿弥の舞の魅とれたといいます。

世阿弥(観世元清) 雨乞いの舞

世阿弥観音像【北村西望作】

北村西望作の世阿弥観音像、これは日本海の荒海で羽衣を舞う観世元清を表しています。

いまぞ知る 聞くだに遠き 佐渡の海に
老いのなみ路の 舟の行くすえ
(観世元清 御歌)

ちょっと酔っぱらったおじいちゃん、そしていねむりなおばあちゃんが、佐渡に伝わる昔話をお話します。
『佐渡の伝説』の中でも全国的に有名な、『安寿厨子王』『夕鶴』『おけさ』の3話をご紹介。
暖かい佐渡ことばでの昔話、きっと皆様聞き終わる頃には、自然と微笑みがこぼれてくることと思います。

世阿弥観音像【北村西望作】

語り部のおじいちゃん・おばあちゃん

佐渡ヶ島に古くから語り継がれてきた伝説を、ちょっぴり酔っぱらったおじいちゃんと、居眠りなおばあちゃんが、暖かい佐渡の方言で皆様にお話しします。

語り部のおじいちゃん・おばあちゃん

安寿厨子王伝説

安寿姫と厨子王丸の母恋物語。
森鴎外の名作『山椒大夫』で広く知られています。
旧相川にゆかりの土地が点在しています。

安寿厨子王伝説

夕鶴伝説

有名な木下順二の歌劇『夕鶴』は、北片辺に古くから語り伝わる『鶴の恩返し』を資料として作成されたそうです。

夕鶴伝説

おけさ伝説

飼い猫が『ケサ』という可憐な乙女に変身し、飼い主の窮状を助け、今までにない唄や踊りを披露して店を大繁盛させたという物語。
『佐渡おけさ』の起源伝説です。

おけさ伝説

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